先日、生まれて初めて「活弁士」さんの高座を
見たんですよ。
神田伯山さんの講談会(これも最高だった!)
のゲストが活弁士の坂本 頼光さんで、
『雷電』という無声映画に
セリフやナレーションを
その場でアテレコする「活弁」を披露。
活弁自体も面白かったのですが、
何よりもやっぱり感動したのが
1928年公開にもかかわらず映画『雷電』に
巧みな構成・プロットがあり、テンポよく編集され、
一方で編集がうまくいかないところは
テロップで逃げる(はさむ)みたいな
現代の私たちが「当たり前にやっていること」が
そこに存在していたこと。
きちんとストーリーの縦軸を作って
登場人物の整理をして、
プロットを飛ばしすぎず
みんなにわかるように展開する。
映像を作る上では当たり前のことだけど
1928年の段階でこれらのセオリーが存在し、
技術の進化や、見やすさ、伝わりやすさを
時代の流れに伴って試行錯誤した結果、
今のような
『テロップは最低4秒入れる!!』みたいな
暗黙のルールが出来上がったのね…と思って。
(ものすごい狭い職業ルールですが…)
(だからテロップがパカパカするYouTubeは
見づらいんですよ…個人の感想ですけど…)
なんだか、昔の映画を見て
先人たちから私たちまで脈々と続く
『テレビ屋の血と骨』のようなものを感じ
密かに感動してしまいました。
私たちが今、作っている番組も
いつか未来のテレビ屋たちが見て
何かを感じてくれるのかな。
そうだといいな。
non。