世の中はXmasなんて浮かれていますが、
それはそれはとてもうらやましいのですが
我が家にはXmasがありません。
ということで、お葬式について考えます。
へ???
Xmasがないから葬式について考えるっていう
この発想こそが葬式っぽい感じがしますけど…
まぁ、わたくし『喪Now』なのでね。
これまで祖父母や親戚の叔父・叔母、またお世話になった上司などのお葬式に
出たことはありましたが、確かに悲しいのだけれどその意味がよくわかっていませんでした。
というかこれは、きっと当事者にならなければわからないことなんだと思います。
父の葬式に出てみて、ようやく『葬式の意味』がわかりました。
あれは、なんでしょうね…残された家族がいろんなことを受け入れる時間なのですね。
私、わりと『憑依体質』で。
先日の竹田城でも殿様を連れて帰ってきて
体の形が変わっちゃうぐらいの憑きっぷりだったんですが。
お父さんと別れるのが本当に本当に辛くて、悲しくて、信じられなくて。
『お父さん、あの世とこの世の間でさまようぐらいだったら私に憑いて!!!』
『っていうか、いっそのこともうちょっと一緒にいてほしいから憑いてよ!!』
って、バカっぽい発想だけど本気で思っていたんです。
でもね。
お坊さんのお経を聞いているうちに、『それは違うのかも…』って思えてきました。
お経を聞いているうちに少しずつ別れる覚悟ができてきたのです。
不思議なもんです。
私は無宗教だし、
もしかしたらお経じゃなくてキリスト教の鎮魂歌でも一緒なのかもしれないけれど。
お葬式というのは、もちろん亡くなった人を弔うためでもあるだけども
残された人たちを慰めるためでもあるんだなぁと思ったのでした。
これは本当に、親しい人を亡くした人間にしかわからないんだろうなぁ。
その意味で。
若くして親を亡くした友だちたちに、私は無責任な発言をしてこなかったか猛省しました。
経験してみないと何事もわからないし、経験してみてもわからないことってたくさんあるけど。
父のおかげでたくさんの発見がありました。
なんちゃって。お父さん、私は好奇心全開で生きていくよ!!!
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