唐突に森博嗣っぽい感じなのですが。

先日、お誕生にを迎えて同い年のお友達から

「四捨五入したらもう50…信じられない!」

「私たち、アラフィフだよ!」

とメッセージをもらって。

え〜〜〜〜!?もう50なの!?と思ったけど

まぁ、確かに45といえばアラフィフで

四捨五入したら50だよね。

っていうか人って、四捨五入するの好きよね(笑)。

そんな立派な(?)おばさんが

ケアベアちゃんのTシャツを買ってる場合じゃねーな

と思ったけど、まぁ、好きだから仕方ない。

好きなものは、好き。

   

そんなこんなで、45歳になったのを機に

また一つ新しい勉強を始めました。

なにを勉強してるかはナイショなのさ。

なんかね、この間唐突に

「私って放送作家である自分に依存しすぎてるよね」

って思って。

確かに放送作家という仕事は好きだし、面白いし、

やりがいもあるけれど、あまりにも好きすぎて

「放送作家に自分が占拠されている」と思って。

客観的に見れば

放送作家は私の一部であって、全てではない。

っていうことは自明のことなんだけど、これまでは…

放送作家は私の全てであって、一部ではない。

っていう思考だったんだよね(ゴリゴリの主観)。

この言い回し、ビミョーな違いだけど

大きく意味が違う。

日本語の能力が高くて、ごめんなさいね。

   

趣味と呼べるものをもたない私は、

特に仕事にのめり込む傾向が強くて。でも!!

放送作家である前に、私は私なのだから

もっと他の「タイトル」も増やそーじゃん!

って思って。

唐突なんだけど、思っちゃったのよね。

なんとなく節目の年齢だし。

これは去年、書店員を始めたことも影響しているし

最近、仲のいい女性プロデューサーが

30年勤めた会社を辞めて故郷に帰り

親と暮らすと決意した話を聞いたからかもしれない。

   

「放送作家」というタイトルにこだわりすぎて

なんか自分の可能性を狭めている気がしたの。

そんなことない?

もちろん、作家の仕事は好きだし

たぶん私は日本語が少しだけ上手だし(たぶん)

この仕事がむいてると思うし。

(実際、20年以上続けられてるし…)

だから、放送作家のパーツも大切にしつつ

違う選択肢を見つけてみてもいいじゃないと思ったの。

こういうことって、みんな普通はもっと若い時に

思うのかしら…。

(→『何者にもなれない私へ。』

なんせ、テレビ王国から出ることなく(守られて)

20年位以上生きてきちゃったから、

視野が狭いのよね、私ね…。

これからは、少しずつできる範囲で

楽しみながら「自分らしい」歳の重ね方を

見つけていきたいと思います。えへへ。

そんなこんなで、地味な進化と退化を繰り返しながら

生きていきます。

いろんな人のそういう話、聞いてみたいなぁ〜。

   

non。