『人間は自然に内包される』、これは大地の芸術祭の基本理念だそうです。

確かに、里山で日々の生活を営む人々、そこに点在するアート…

色々なものが共存、共栄し、3年に一度の

一大アートイベントを成し遂げているのだと現地で実感しました。

 

大地の芸術祭では、アート施設の受付などを地元の方がやっていることも多くて。

そんな皆さんとお話しするのも、この芸術祭ならではの楽しみです。

以前、瀬戸内芸術祭に行った時に、小豆島も新潟のスタイルに近くて

地元の人が受付をやったり休憩所を設けて麦茶やアイスを無料で振る舞っていたり

(お遍路さんと一緒じゃよと小豆島の皆さんはおっしゃっていました)

その時も、地元のおじいちゃんおばあちゃんとお話しするのが楽しかった記憶があります。

 

大地の芸術祭の代名詞といえは、空き家・廃校プロジェクト。

過疎化などに伴い、空き家や廃校になった場所が次々とアートとして

蘇っていました。

 

『ワープクラウド』が展示してあるこの場所は、以前、染物工場だったらしいです。

受付にいた地元の女性が教えてくれました。

 

 

その女性は20年ぐらい前にこの地区にお嫁できて

その時にはすでにこの建物はあったんだとか。

染物工場の前は小学校だったらしいです。

小学校を染物工場にする際に、教室をぶち抜き縦に長い空間を作り

よく見ると変なところに水道の蛇口がある。

染物を洗う際に使っていたものだそうです。

 

また、『裏側の物語』がある建物は木造の立派な建物なのですが

その昔、このエリアの公民館だった場所だったらしいです。

受付をしていた地元のおじいちゃんが色々と教えてくれました。

 

 

自分が住んでいる生活空間にこうしたアートイベントが来ることについてどう思うか?

ということも聞いてみたんだけど

『芸術祭がなければ取り壊されてしまう公民館がこうやって残るのは嬉しい』

『実はこの公民館を作る時に自分も手伝ったんだ』

『古くなったから壊すのではなくて、活用できるのは嬉しい』

とおっしゃっていました。

また、アーティストとの交流もとても楽しかったようです。

古いものを取り壊してしまうのは簡単だけど、

アートとしてもう一度息を吹き込む…

これって確かに素敵なことだし大きな意義のあることだけど

実際にはかなりハードルが高い作業で。

実のところ、芸術祭のアート作人の誘致に否定的な住人の方もいるらしく…。

そりゃそうだよね。

人がいっぱい来るし、生活空間が脅かされるし。

地域の人たちの協力と理解があってこそ、芸術祭は成り立っているのだなぁと

色々と勉強になりました。

 

あと、もう一つ。

強く感じたのは、こうした現代アートって、

もはや『パッション』で作られるだけじゃダメなんだなぁということ。

もちろんアート的な才能は必要なんだろうけど

ちゃんと作品にストーリーがあったり、哲学があったり。

こうした地域に根ざした芸術祭の場合は

舞台となる土地の地層や歴史についての”知識”も踏まえての

「アート作品」になっていることが多くて。

だから、芸術祭を訪れると

その地域について理解できる仕組みになっていることに気づいて

「うわぁ〜、すごいなぁ〜」と、ただただ感心しました。

側面のストーリーがきちんとあって、それが面白くて魅力的ならば

アート偏差値の低い私のような人間にも、十分楽しめる。よくできてる。

 

ネットが発達して、ググればなんでもみれる時代だけど。

やっぱりその土地に行って、その場の空気を感じて、

地元の人と交流してい、その土地の美味しいものを食べて。

そういうのって大事なんだなって改めて思いました。

 

本当に充実した2日間でした。

しつこいようだけど、大地の芸術祭は9月17日までやってるし

お米もお酒も美味しいから、みんな行ったほうがいいよ!!

 

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